川口商店 | 花緒 | 01
#01 手仕事だから滅びゆく、けれども手仕事でなければできないことがある
京都には草履の職人はいますが、花緒を作る職人はいません。かつて京都御所へ皇室の方々への品物を献上するために他県で作られた素材を仕入れ京都の仕立て職人が最終工程を担っていた背景があります。
大阪西成区にある創業60年の『川口商店』は大阪草履の老舗『菊之好』お抱えの職人さん。川口商店では工程の全てが手仕事。針を使う細かい仕事は女性が、木槌を使って花緒をならす仕事を男性が。工程が多く、昔から花緒の仕事は夫婦で行われていました。三世代に渡り分業制で花緒を作り上げており一代目が一度病で倒られたときに家族全員の支えがあったからこそ今も続いています。手仕事への姿勢、時代で変わる鼻緒の魅力について教えていただきました。
──花緒職人になったきっかけを教えてください。
僕は親の世代からこの仕事をやっていて、小学生の頃の手伝いが始まりで60年やっている。うちは花緒作る工程が全部、手仕事。手仕事には利点もあれば、不利点もあるなぁ。
──川口さんにとって、手仕事の利点はなんですか。
細かいところまでできること。それによって、花緒への足当たりが全く違う。そこが一番大事なところ。ミシンで縫うと縫い目が硬くなるから、当たるところが痛い。手で縫うと、細かく仕事ができて縫い目が表に出ないから、当たりが柔らかくなる。
──対して、手仕事の不利点は。
作る人が少なくなってきていること。履く人が減っているのもネックやね。曾孫には小さい頃から下駄を履かせていまして、今中学生ですけど家に帰ってきたら下駄に履き替えて遊びに行きます。外は真冬で寒いのに素足で。最近は藁草履を履かせる幼稚園もあるよ。
近年機械で縫う花緒屋さんも多いけど、昔は手仕事で作る花緒屋がここあたりに50軒以上あった。でもだいぶ減った。花緒は滅びゆく産業や。これは手仕事やから、手で作れる分しかできない。能力は人それぞれ違うから、これ(花緒の仕事)一本でご飯を食べれる人もいれば、そうじゃない人もいる。
──花緒を作られていて感じる時代の変化はありますか。
体格に変化があるね。特に女の人は体格が良くなって、足も大きくなっているから時代に対応できることはしている。形には変化ないね。草履は昔から草履の形のままで、進歩がない。簡単に言えば、花緒を指で挟む形。でも、進歩する必要がないんよね。
今の若い人や外国の人は、小さい頃から下駄や草履よりも靴を履いてるから、花緒を指で挟む習慣がなくて「痛い」と言う。昔は小さい頃から花緒のついた下駄を履いていたから、足が強かった。
──時代による花緒の柄の変化はありますか。
ある。花緒には柄や刺繍といった、いろんな“色”がある。形のデザインは変わらんけど色が変わる。景気がええ時は金色の花緒がよく売れるねん。悪い時は銀が売れる。本当に。日本には四季があるでしょ。一月、二月、三月…と並んでいて、花緒も並べることができるんよ。
利休下駄(りきゅうげた)という、歯のついた下駄があって、高さが高いものと低いものがあるんやけど下駄の台も12種類以上ある。縫いもあれば、竹のものや杉のものも。昔は気候によって変えていた。昔は舞妓さんが履いているおこぼにも側面に蒔絵が施されているものがあって、うちの娘たちもそれを三代にわたって七五三で履いていた。でも今は需要がなくて特殊な草履や下駄を作る人がゼロになっている。
──以前黒紋付の職人さんにお話を伺ったとき「着物離れで着物関係の職種は生産を縮小化していっている」という話がありました。花緒の業界でもそうなのですか。
花緒はもう職人がいなくなっている。花緒は工程が多いから夫婦でやっていかな仕事が回らない。昔の花緒屋さんはどこもそうだった。どちらか一人が欠けてしまうと大変で、うちは夫婦でずっとやってきた。今は娘と孫も一緒に。僕の孫はこの仕事を始めて10年目。学校を出た後、他所に働きに行っててんけど「おじいちゃんが花緒の仕事してんねやったら僕もする」と言って。器用ですねん。わたしらの仕事の手元を見よう見まねでやりだして。
花緒は分業制で、男に一人に対して女は5人ぐらいが丁度良い。針を持つ細かい仕事は女が、木槌で花緒をならす工程を大体男が。わたしら夫婦が年取ってもこうやって作業できているのは、娘や孫のおかげなんです。僕らは継承するもんを継承できたからええけど、もしこの仕事を会社としてやってたら生活安定していない。僕は今年で86歳。僕らは滅びゆく産業やから、経験を教える。これからの時代に対応していくのは孫らの世代。