2024年10月 神無月 かため

 「あまから手帖」という雑誌がある。どうやら関西系らしく関東ではなかなかお目にかかれないようだ。食べ物屋が載ってるのでグルメ雑誌ということになるのかな。しかしこの「あまから手帖」、名前も見た目も独自の品格のある稀な雑誌だ。

 僕はこの「あまから手帖」に2回原稿を載せてもらっている。1本目は京都の味噌屋の「加藤みそ」で、2本目は京都の中華と言えば名前が挙がらないことがなさそうな「大鵬」の2代目が山奥に作った「田舎の大鵬」。


 そんな「あまから手帖」の話をわざわざ持ち出したのは、この夏、大学の授業で学生らと「あまあま手帖」と称して京都の菓子屋を回るフィールドワークをしたことを書きたかったからだ。

 この「あまあま」では鍵善良房、塩芳軒、千本玉壽軒、鶴屋吉信、と超豪華なお店を回らせていただき、たくさんのお話しと見学をさせてもらいました。学生たちはその価値を分かるはずもない、ただの幸運である。僕は正直、学生の振る舞いによって菓子屋のご主人が気を害されないかを終始気にしていたな。でも幸いそういうことはなかった。たくさんの発見があった中の一つとしてこの原稿では「三味胴(しゃみどう)」という箱の形を紹介したい。写真を参照してもらうと普通の箱とは違って少しふっくらしていることに気づくだろう。この形が三味線に似てることから三味胴である。





 鍵善さんのお店に並んでいたこれを見た時に、ああこんな箱にWLKの製品が入ってお客さんに届いたらいいのになと思った。菓子は口や鼻で味わう風味だけでなく、名前や箱も合わさって菓子なんだと鍵善さんは言っていた。あと教養もあると頭も使ってなおさら、おいしくなる。

 京菓子は色形でさまざまな物事を表現しているが、関東(江戸)の菓子に比べて抽象的であることが特徴。これは分からないことの面白さである。その点、現代アートとも似ている。


 さて、箱だけど、製品のパッケージはとても大事な要素だ。話は転じるが昔こんなことがあった。スタジオに環境植物が置いてあって、それはパキラというどこにでも売っているものだ。(あ、今もあります、元気にしてます)それを見た人が「これ素敵ですね、何ていう植物ですか?」と尋ねてきた。「え?パキラですよ、どこにでも売ってますよ」と答えた。しばらくして、それにしてもどうしてこんな普通の植物が良く見えたんだろうと考えた。そうか鉢が違うんだと気づいた。鉢だけはいいのに入れていたんだよね。

 鉢は、箱は、本体を食う ということがある。だから高級品は高級な箱や工夫のある箱に入れられることが多い。指輪なんかも、箱に入れずに指輪だけほいと渡されたら、たちまちに魔法が解けてしまいそうなほど頼りない。


 だから世間のメーカーは箱を大事にするし、今も箱の専門店が存在する。頼りないものの価値を箱によって安定させる、あるいは2倍3倍に見せるということもあるだろう。僕は2、3倍を企んでる箱っていうのは好きじゃない。それは関心しないし、過剰包装が気になってしまう。

 菓子屋の菓子は、それらとは違って見える。それは菓子と同様に気が配られていて、その菓子を包むべくして存在する感じがある。(そうでないものも増えているとは思うけど)何倍も良く見せようとしていない。それに昔からずっと同じ箱なので、素材もプラスチックでない、自然の素材だ。そのなんとも言えない優しさと懐かしさを越えて今むしろ感じる新しさ。素晴らしすぎて敵わない、素敵である。


 ちなみに「大鵬」は今年で50周年!おめでとうございます。



2024.10 Yosuke Sakai
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